2006
         
    アウトライン


    last updated October 6、2009
 
  
このページでは
事件の概略を説明しています。
事件のくわしい進展や捜査内容を
知りたい方は、
「捜査内容」のページをご覧ください。
     



●2006年9月2日、篠崎耕太君(当時、慶応大学2年在学中、21歳)は
3週間の予定でインドへ旅立ちましたが、
帰国予定の9月24日になっても戻りませんでした。
10月2日にはチケットも失効しました。
出国以来、家族、友人にはまったく連絡がありません。



●10月17日に大使館の届出を受けて、インド警察も捜索を開始しました。
その結果、耕太君が到着直後にニューデリー駅近くでで客引きに誘われて
高価なツアーを購入し、運転手とともにジャイプールへ向かい、
9月5日にアグラに到着したことが分かりました。
耕太君はその日の午後、運転手が手配した地元の日本語を話す
ガイドとともに、タージマハルを見学しました。
夕方、運転手とガイドとともにチャナカヤ・ホテルに着いて、
チェックインしましたが、その後のことはハッキリしません。
ただ今のところ、その晩(インドに到着して3日目)、ホテルから失踪したと
考えられているだけです。


●宿の受付は当初、警察に「耕太は荷物を持って一人で外出した」と証言しましたが、その後、渡印していた母親や日本人の友人たちに
「耕太は運転手とガイドと一緒に外出した」と、証言を変えました。


●それから2年の間、必死の働きかけにもかかわらず、
捜査はほとんど進展しませんでした。


●昨年3月、警察が関係者数名をナルコティックテスト
(*)にかけました。
その結果、運転手が
「あの晩、ガイドと耕太と3人でレストランへ行った。
ガイドと耕太がリキシャに乗って出て行くのを見た」と
まったく新しい証言をしました。
*ナルコティック・テスト・麻酔剤などをもちいて無意識下にある証言を
  引き出す捜査方法。使用に際しては裁判所の許可を必要とする


●ガイドはそのナルコティックテストの直前に失踪していましたが、
今年2月、アグラから南に120キロ余の古都グワリオールで
重要参考人として身柄を拘束されました。
彼も7月にナルコティックテストにかけられましたが、
運転手と耕太とレストランへ行ったという証言は一切なく、
「耕太をホテルに送っていったあと、運転手とお酒を飲んで自宅へ帰った」と
証言しました。この証言は3年前の事件発覚直後のものとほとんど同じです。

      

●つまり、運転手とガイドの証言はまったく相反するものとなっており、
ガイドの証言を信じれば、捜査は振り出しに戻ったともとれるものです。



この結果を知ってまだ10日ほどしかたっておらず、
この証言をどのように受け止めるべきか、
私たちは戸惑っています。
    
(2009年10月3日記)

               
      
                      

     詳しくは「捜査内容」をご覧ください。













 


 

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